「恩讐の彼方に」――ホンダ、インディ挑戦40年目の快挙
5月30日(日)、アメリカ・インディアナ州の州都インディアナポリスにあるインディアナポリス・モーター・スピードウェイ(IMS)で開催された第88回インディ500マイルレースで、Gフォース・ホンダV8に乗るバディ・ライス(米、28歳)が優勝した。
雨のためスタートが2時間遅れた決勝レースは、途中、雨のために1時間47分も中断。さらに最後も雨によって200周レースの残り20周を残したところで終了することになる波乱のレースだった。
雨にたたられたレースではあったが、IRL第4戦となるインディ500から3リッターに縮小されたエンジンと(第3戦までは3.5リッター)、安全対策のためリアウイングに装着されたウィッカーと呼ばれるフラップのためか、スリップストリーム効果が高まり、激しい抜き合いが各所で起きる見応えのある1戦となった。
2000年から5年連続でインディ500のテレビ解説(GAORA)をしているが、雨にたたられたレースは2000年につづき2回目となった。本当なら退屈になりがちなのだが、今年は、走行中ずっとデッドヒートがつづいたせいで、8時間以上の解説も、さほど苦にならずにすんだ。やはりレースは中身が大事という良い見本だといえそうだ。
この日、ドイツのニュルブルクリンク・サーキットでは、F1ヨーロッパGPが開催されていた。時差の関係で、インディ500がスタートする直前に、ヨーロッパGPは終了していたが、F1でBARチームにエンジンを供給するホンダにとって、ここニュルブルクリンクでのレースは、F1参戦40周年の記念すべきレースでもあった。
同時に、ホンダのインディ500への関わりも、同じ40年前の1964年にはじまっていたのだが、そのことは、あまり知られていない。
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ホンダが第1期F1に参戦した1964年、ホンダの創業者である本田宗一郎氏がインディを視察した。本田氏は1964年にもインディを視察するが、この事実からもわかるように、本田氏は、F1だけでなく、インディ500の制覇も夢としていたのではなかろうか。
そして、実際にホンダのマシンがインディを走るときがくる。1968年秋のことだ。
1968年という年は、1964年にF1参戦を開始したホンダが、F1活動を終結した年でもあった。この年のF1最終戦メキシコGPに出場したホンダ・チームは、1台のF1マシン「ホンダRA-301」を持ち込んで、インディでテスト走行を敢行していたのだ。
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このとき、ホンダRA-301の操縦席に座っていたのはロニー・バックナムというアメリカ人ドライバーだった。いわずと知れた(知らない人もいるかもしれないが)ホンダF1参戦時の最初のドライバーである。
ホンダF1チームの中村良夫監督は、インディでのテストのため、同チームに所属していたジョン・サーティースを伴っていた。2輪で7度も世界チャンピオンに輝いたあと4輪レースに転じ、F1でも64年にフェラーリで世界チャンピオンとなっていたサーティースは、インディに来たものの、コースを走るためにはルーキーテストが必要だと聞かされ、走ることに抵抗を示していた。プライドが許さなかったのだ。
そこで困り果てた中村監督が連絡を取り、呼び寄せたのがバックナムだったのだ。
1966年シーズンでホンダF1チームからは解雇されていたバックナムは、このとき、アメリカでインディカーシリーズを戦っていたが、中村監督から連絡を受けると、ふたつ返事でインディに飛び、ホンダ・チームのためにマシンのテストを担当した。
インディ500にも出場していたバックナムには、ライセンスの問題もない。2日間のテストのうち初日は、みぞれ混じりの悪天候で、満足に走ることができなかったらしいが、2日目には、満足のゆくタイムを出したといわれている。
(このあたりの詳細は、ホンダの公式サイト内にある「幻のHondaインディ計画」で読むことができる)
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実際にホンダがインディ500への参戦を果たしたのは、本田宗一郎氏が初めてインディの地を踏んでから30年目の1994年になってから。この年、ホンダと手を組んでインディ500に出場したのは、1986年にインディ500で優勝した経験を持つベテラン・ドライバーのボビー・レイホールである。チームオーナーでもあるレイホールは、マイク・グロフと共に2台体制でインディ500に挑んだが、2台とも充分な速度を出せず、あとから予選に挑んだマシンのため、ともに「バンプアウト」される悲哀を味わっていた。
インディ500は、独特の予選システムを持っている。計4日(現在は3日)にわたって実施される予選中、ひとたび33台分のグリッドが埋まると、最も遅いタイムを記録したマシンが「オン・ザ・バブル」となる。泡沫候補という意味で、これよりも早いタイムを記録したマシンが出ると、グリッドから弾き出されてしまうのだ。これを「バンプアウト」といい、何台ものマシンがバンプアウトされる予選最終日には、「バンプデー」という名前までつけられている。
前年の1993年、レイホールは、ガンで死去した友人のジム・トゥルーマンから引き継いだオリジナルシャシーでインディ500に挑んだが、シャシーのセットアップが進まず、予選落ちするという屈辱を味わっていた。そして、つづく94年もバンプアウトされてしまったのだ。当然、このままでは予選落ちになる。スポンサーの手前もあり、2年連続の予選落ちをするわけにはいかなくなったレイホールは、ロジャー・ペンスキーが差しのべてくれた助けの手を借りることにした。ホンダのワークスドライバーだったはずのレイホールは、ペンスキー・シボレーをレンタルして予選通過を果たしただけでなく、決勝でも3位に入る健闘を見せたのだ。
(この翌年、ペンスキーがオリジナルシャシーで予選不通過になりそうになったとき、レイホールは自チームで余っていたマシンの提供を申し出たが、ペンスキーは、それを断り、ドライバーのアル・アンサーJr.、エマーソン・フィリピンとともにインディを後にした)
1994年のインディ500は、ホンダにとって、まさに面子まるつぶれ。屈辱のレースとなったことだろう。ホンダのインディ用エンジン開発者は、そのうえに、さらに悔しい思いをすることになる。まだ契約期間の残っていたボビー・レイホールが、翌年はホンダ・エンジンを使わないという訣別のFAXを送りつけてきたのだ。この屈辱のFAXが、ホンダのエンジン開発担当者たちの闘志に火を点けたともいわれている。
ホンダが汚名をすすぐ機会は、早くも翌1995年にやってきた。この年、テスト段階からホンダ・エンジンを搭載していたコンプテック・チームのパーカー・ジョンストンに加え、新たにタスマン・モータースポーツのアンドレ・リベイロが、ホンダ陣営に加わった。CARTの全シリーズに参戦したのは、この2人だけだったが、インディ500には、カナダ人のスコット・グッドイヤーが、タスマンからスポットで参戦した。グッドイヤーは、1992年のインディ500で、優勝したアル・アンサーJr.を最後まで追いまわし、史上最小差の2位となったことで知られるドライバーである。ミシガンなどの高速オーバルで見せるスピードには、以前から定評があった。
グッドイヤーは、予選で3位につけただけでなく、決勝レースでも1周目からトップに立つ活躍を見せた。その後も快調な走りをつづけたグッドイヤーは、176周目、この日7回目のトップに立つと、2位のジャック・ビルヌーヴを引き離していった。
だが、残り11周となった189周目、イエローコーションが出てしまう。リ・スタートは196周目だった。このリ・スタートの際、グッドイヤーはペースカーを追い抜いたとして、195周目でレース除外の裁定を受ける。
本来なら勝てたレースを失ってしまったのだ。チームは抗議したが受け入れられず、優勝は、この年、CARTチャンピオンとなり、翌年はF1ウイリアムズ・チームに移籍するビルヌーヴのものとなった。
翌1996年からは、インディ500が新設されたIRLの1戦となったため、CARTシリーズに参戦していたホンダは(この年からCARTに参戦したトヨタも)、インディ500への参戦が不可能となる。インディ500挑戦への復帰を果たすのは、トヨタとともにCARTに見切りをつけ、IRLに転向した2003年になってからだった。
しかし、2003年は、トヨタ・エンジンを使用するペンスキーのジル・ド・フェランに優勝をさらわれていた。それだけではない。ホンダは、栃木県茂木町に建設したツインリンクもてぎで開催されたCART、IRLの地元レースでも、まだ一度も優勝できずにいた。インディ500とツインリンクもてぎでの優勝。これがホンダの悲願になっていたはずである。
2004年、IRLは、第4戦となるインディ500から、エンジンの規定を変更することに決定した。2003年の終わりに、ドライバーが死んだり大怪我を負う大事故が続発した事態を受けてのことだ。第3戦ツインリンクもてぎまでは3.5リッターだったエンジンの容量が、インディ500からは3リッターに縮小されることになった。ホンダ陣営は、3.5リッター最終戦となった地元のレースで悲願の初優勝を果たすため、持てる全ての力を3.5リッターの開発に注いでいるともいわれていた。その噂どおり、ホンダ・エンジンを搭載したダン・ウェルドンが、もてぎで優勝するのだが、その分、3.5リッター・エンジンの開発が遅れ、インディ500では不利になるのでは……とも囁かれていた。
だがホンダは、そんな杞憂を一蹴して見せた。今年のインディ500がはじまると、プラクティスの段階から上位を独占し、予選でも、トップ7を独占して見せたのだ。
そして決勝レースでは、チームの総合力が高いペンスキー・チームのカストロネベスやサム・ホーニッシュJr.(いずれもトヨタ・エンジン搭載)に迫られ、スリップに潜り込まれたが、それ以上の詰めは許さぬパワーの違いを見せつけた。そしてレースに勝っただけでなく、ここでもトップ7を独占して見せたのだ。
200周のレースが雨のために180周に短縮されはしたが、走行中のレースは密度が濃く、手に汗握るシーンが続出した。そのうえでの勝利なのだから優勝したバディ・ライスも満足しているにちがいない。
それ以上に感慨深かったのは、優勝したレイホール・レターマン・チーム共同オーナーのボビー・レイホールだったのではなかろうか。1984年、ホンダ・エンジンで屈辱の予選落ちを味わったレイホールは、この年限りでホンダと訣別し、シボレー陣営に走っていた。そのレイホールに対し、ホンダのエンジニアたちが恨み骨髄の思いを抱いたとしても不思議はない。その悔しさがバネになり、その後のCART制覇につながったのも確かだろう。
そして2003年、ホンダはCARTからIRLへ転向するにあたり、ボビー・レイホールに、再び一緒にやらないかと声をかけたのだ。両者にとって因縁のインディ500で、ホンダのエンジンを積んだレイホール・チームのマシンが優勝を果たしたのは、それからたった1シーズン後のことだった。まるでレース版「恩讐の彼方に」ではないか、と思ったのは、ぼくだけではないはずだ。
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というわけで、突然、話題は変わるが、記念すべきホンダのインディ500初制覇を祝福して、フィクションの世界で一足先に(1995年インディ500)でホンダを初優勝させたインディカー・レース小説『灼熱の走路』(菅谷充・著/1995年刊/全2巻)を2、3日のうちに、期間限定で無料公開することにした。ただいまPDFファイルを製作中なので、しばしのお待ちあれ。

コメント
>汚名挽回は、翌1995年のインディ500で早くも晴らされそうになった。
汚名は「返上」するものであって、挽回するものは「名誉」なのでは?
http://deztec.jp/site/tips/other/o0025.html
http://www.haltz.com/wt/mtalk/lib02/bankai.htm
投稿者: やまとたいし | 2004年06月02日 01:44
>やまとさん
ご指摘の点、修正しておきました。「晴らされる」も、ちょっとおかしいので、こちらも直しておきました。
どうもありがとうございました。
でも「すすぐ」という表現も、いまは通じにくいかもしれないなあ……。
投稿者: すがやみつる | 2004年06月02日 03:08
おもしろい……。
インディ500のエピソード、グッときました。マニアックな世界を想像してたのですが、「恩讐の彼方に」なんて書いてあるので、どれ……、と読んでみたのです。楽しかったです。レース、まったく詳しくないんですが。
投稿者: 銀縞 | 2004年06月02日 03:19
>やまとさん
楽しんでいただけて幸いです。
レースに興味のない人たちにも、レースの楽しさを知ってもらえないものかと、長年、いろんなかたちでレースの面白さを伝える活動をつづけてきたのですが、知らない間に、そのことが評価され、昨年、突如として、モータースポーツ大賞なんてものを頂いてしまいました。
あまりに突然だったので、ビックリ仰天でしたが、本業で賞をもらったときに負けぬくらいに嬉しいデキゴトでありました(^_^;)。
これを機会に、テレビでレース番組を見かけたら、ちらりとでも見てやってください。
あ、今年のインディ500は、6月6日(日)の19:00から23:30までの予定で再放送されます。CSの「GAORA」です。わたしも解説を担当してますので、CSやケーブルテレビで「GAORA」が見られる方は、ぜひ、チャンネルをひねってみてください(この表現、年齢がバレるなあ)。
投稿者: すがやみつる | 2004年06月02日 20:12
>ご指摘の点、修正しておきました。
私もあまり人のことは言えないのですが、この手の誤用は結構多い
ですね。「役不足」なんかも結構間違って使っている方をネット上で
見かけます。
> 楽しんでいただけて幸いです。
> レースに興味のない人たちにも、レースの楽しさを知ってもらえないものかと、
銀縞さん同様、私も楽しく読ませて頂きました。
どんなジャンルであっても、基本は血の通った人間のドラマですね。
その登場人物の夢や希望、チャレンジ精神、プライドなどがきちっと
描かれていて、なおかつ、そのジャンルについて詳しくない人にも
分かりやすく書かれていると、その面白さは伝わるんじゃないでしょうか?
その点で、NHKのプロジェクトXなんかは見せ方が上手いと思います。
投稿者: やまとたいし | 2004年06月05日 00:37