レディスコミック原作『霊の宿る家』

 この原作は、レディスコミックを多数描いている友人の女性漫画家に頼まれて書いたものです。その友人が、体調を壊して仕事が遅れ、ストーリーを作っている時間がないとSOSを求めてきました。そこで、レディスコミックという未知のジャンルに挑戦するのも面白いかもしれないと思い、書いた原作です。勉強のつもりだったので、名前を出すのは勘弁させてもらいました。
  1. 想定読者対象は、若い主婦層。
  2. テーマは、「濡れ場のあるホラー」。
 以上が注文の内容でした。

 相手は実力のある漫画家なので、コマ割りなどはまかせておけば大丈夫と、このような小説に近い形式でわたしました。できあがった作品を見たら、気をつかってくれたのか、ストーリー、セリフなども、ほぼ、このままでした。先月発売された某誌に掲載されたばかりのものです。

 こことここが「絵」としての見せ場になるだろうな……と思っていたところも、きちんと押さえられていました。

 とても架空戦記小説を書くかたわらで書いたものとは思えません(^_^;)。



「霊の宿る家」(原作)

「ごくろうさまでした」
 松岡夕子は走り去る引っ越し業者のトラックに頭を下げると、クルリと振り返って我が家を見上げた。
 二階建て4DKの建売住宅――これが夕子と夫の淳一が手に入れた念願のマイホームだった。
 東京郊外の武蔵野の面影を残す雑木林を背にした造成地。その中にポツンと一軒だけ、まだ真新しい家が立っていた。すでに夕暮れが迫り、家の中には明かりが灯っている。
「おーい、夕子。ちょっと手伝ってくれないか?」
 家の中から淳一の声が聞こえた。
「はーい」
 夕子は明るい声で返事をすると、門柱の表札を指先でつついて微笑み、そのまま家の中に入っていった。

    ○○市美国塚2035
        松岡 淳一
           夕子

 表札には、このような文字が刻まれていた。

 夜――。
 夕食がすみ、キッチンでは夫の淳一がひとり、テレビを見ながらビールを飲んでいた。
 夕子は浴槽に身を沈めながら、幸福感にひたっていた。
 ――団地みたいな社宅では、プライバシーなんてものはないも同じだった。隣の人たちの声も壁越しに聞こえてしまうんだもの……。
『松岡さん、夕べは激しく旦那さんに愛してもらったみたいね……』
 部屋のドアの前で隣の部屋の奥さんに露骨に言われたこともあった。
『新婚さんはうらやましいわぁ。うちのにも見習ってほしいくらいよ、ホホホ……』
 ――でも、ここならそんな心配はないわ……。
 夕子は、両手を交差させ、自分の両の胸を手のひらで包んだ。
 ――!
 人の気配を感じたのはそのときだった。
 はっと顔を上げると、浴室のガラス窓の外に黒い人影が映っているのが見えた。
「きゃあ〜っ!」
 夕子が悲鳴をあげると、その影はフッと消えた。
「どうしたんだ、夕子?」
 淳一が浴室のドアを開けて飛び込んできた。
「い、いま、窓の外に誰かが……」
 胸を抱えたまま夕子が震える声で答えると、「なにっ?」
 と叫んで淳一は外に飛び出した。
 キッチンの横のドアから外に出たが、誰もいなかった。第一、窓は高いところについていて、踏み台でもなければ窓から覗けそうにない。おまけに目隠しのプラスチック板までついているのだ。
「誰もいなかったぞ。おまけに梯子でもないと覗けやしないよ、風呂場の窓は」
 キッチンに戻ってきた淳一は、バスローブに身を包んで震えている夕子に言った。
「本当……?」
「本当さ。引っ越しで疲れて気が昂っているんじゃないのか」
 淳一は夕子のバスローブの襟元に手をかけた。「今夜は、ゆっくり休もう……」
 夕子の胸元が肌けられ、淳一が乳房に口づけしてきた。
「あ……こんなところで……」
 夕子は壁に背中をついた。バスローブの裾から淳一の手が差し入れられる。
「いままでみたいに隣近所に気をつかう必要もない。それが気に入って、この家を選んだんじゃないか」
 淳一の声が呪文のように聞こえ、夕子は次第に我を忘れていった。

 ――そうよ、この家なら、もう誰にも遠慮することはないのよ……。
 二階の寝室のベッドの上に場所を変え、ふたりは全裸で絡み合っていた。
「あっあっあっ……」
 夕子が声を小さく声をあげる。
 ――ここなら思い切り声をあげてもいいのよね……。
 夕子は快楽に身をゆだねながら、それに溺れようとしていた。
「もう少し……ああ、もう少しよ……ああ、ああっ……」
 夕子は淳一の頭を掻き抱きながら背中を反らせた。
 ――!
 また人の気配を感じたのはそのときだった。
 はっと目を開いた夕子は、暗い天井の中に光る巨大な双眸を見た。血走った巨大なふたつの目がベッドの上で絡み合う夕子と淳一を見下ろしているのだ。
「きゃぁ〜〜っ!」
 夕子は目を閉じて淳一を突き飛ばした。
「どうしたんだ?」
「て、天井から誰か見てる……」
 夕子はベッドに顔を伏せながら叫んだ。
「え?」
 淳一は天井を振り仰いだが何も見えない。
「何もいやしないよ。何だかおかしいぞ、今夜は。やっぱり疲れてるんだ。このまま寝たほうがよさそうだな」
「お願い、明かりをつけておいて……」
 夕子は顔を手のひらで覆ったまま淳一に言った。
「しかたねえなぁ……」
 淳一は天井から延びる蛍光灯の紐に手を延ばした。
 ヒュルルル……。
 闇の中で風が鳴り、雑木林がザワザワと梢を揺らしている。二階の寝室の窓に明かりを灯した夕子と淳一の新居は、黒いシルエットとなって闇の中に沈んでいた。

 翌朝、夕子の運転する車が私鉄の駅前に滑り込んだ。
 助手席のドアを開けた淳一は、振り返りながら運転席の夕子に声をかけた。
「悪いけど、帰りも頼むよ」
「ええ。電車に乗る前に必ず電話してね」
「わかってるって。今夜は転勤する課長の送別会があるんだけど、なるべく早く帰るから……」
「お願いね……」
 夕子は、哀願するように淳一の顔を見た。
「まだ、昨夜のことを気にしてるのか? 引っ越しで気苦労も多かったから、疲れてるんだよ。今度の日曜日には、会社の同僚が引っ越し祝いを持ってくるっていってるし、もう少し元気を出してくれよな」
 淳一は、励ますように言うと、駅の階段を昇っていった。
「元気を出せか……」
 夕子は自分に言い聞かせるように呟いた。

 夕子は家に帰ると、キッチンのテーブルの上にノートパソコンを持ち出して、紙に印刷された英文を見ながら、それをパソコンに打ち込みはじめた。
「そうよ、変なことを考えている暇なんかないわ。ローンを払わないといけないんだもの……。さぁ、仕事、仕事……!」
 カチャカチャとキーを打ち込みながら夕子は、自分を励ました。
 ――夕子は、結婚前は商社で貿易実務の仕事を担当していた。その経験を活かして、自宅で翻訳のアルバイトを始めたのである。
 翻訳する英文はファクシミリで届き、翻訳原稿はパソコンに打ち込んでいく。
できあがった訳文はパソコン通信で契約した翻訳会社のコンピューターに送るようになっている。そのおかげで自宅にいながら、高収益のアルバイトができるようになっていた。

 夜――。
 夕子の家は宵闇に包まれていた。すでにキッチンには明かりが灯っている。夕子は壁の時計を見上げた。もう午後七時だ。
「もうこんな時間か……。淳一さんは、送別会で遅くなるといってたし、夕飯は何かありあわせのものですませちゃお……」
 と夕子が立ち上がりかけたとき、ふいに天井の蛍光燈が消えた。
「キャッ! て、停電?」
 パソコンの画面も消えている。
「やだッ、打ち込んだ文章が消えちゃった!」
 半泣きの顔で夕子は壁に沿って歩き、ブレーカーのスイッチに手を伸ばした。だが、スイッチはオンになったままだ。
「え、ブレーカーのせいじゃないの?」
 そのとき夕子は、ザワッとする冷気を感じた。
「ひ……!」
 夕子は、絶句した。闇の中を白い人影が歩いてくるのだ。
 輪郭ははっきりしないが、どうやら着物を着た女らしい。
 夕子は、へなへなと、その場に座り込んだ。
 ジーン! 電話のベルが鳴った。
 そのとたんに照明がつき、白い人影も消えていた。
 夕子は、あわてて電話をとった。
『ぼくだよ』
「じゅ、淳一さん……。お願い、すぐに帰ってきて。お願い!』

 淳一は、居酒屋から電話をかけていた。
「どうしたんだ?」
『ゆ、幽霊が……』
「え……? わかった、とにかく、すぐに帰るから……」
 電話を切ると、酔った同僚が声をかけてきた。
「おいおい、二次会はキャンセルか?」
「すみません。家内が具合が悪いもので……」
 淳一は、両手を合わせると、店を出た。

 受話器を置いたとたん、また、部屋の明かりが消えた。
「きゃぁッ!」
 夕子は悲鳴をあげた。
 その目の前に白い人影が浮かび上がり、夕子のほうに迫ってくる。白い着物を着た女だ。尼僧の姿をしている。
「こ、こないで……。いや、あっちへ行って……」
 夕子は、じりじりと後ずさりをした。
 二階に通じる階段に腰をのせ、後ずさりしながら階段を上っていく。それを白い人影が、ゆっくりと追ってきた。

 キッ!
 家の前でタクシーが停まり、淳一が降りてくる。
 家は真っ暗だった。玄関のチャイムのボタンを押すが、返事がない。
「夕子!」
 淳一は、自分の鍵でドアを開けた。
 壁のスイッチを押すと、照明が灯った。夕子の姿はない。
 二階に通じる階段の明かりをつけ、階段を上がっていくと、寝室のドアの向こうから、「ああ……あ……」という夕子のうめき声が聞こえてきた。
「夕子」
 ドアを開けた淳一は、目の前の光景を見て、「う……!」
 と絶句した。
 窓から差し込む月明かりに照らされたベッドの上で、全裸の夕子が悶えていた。大きく開いた脚のあいだに白い影がうずくまっている。
「夕子ッ!」
 淳一が声をあげると、その白い人影が淳一のほうを見た。
 ゾクッとするほど妖艶な若い尼僧だった。
 尼僧は、ニヤリと笑うと、スッと姿を消した。
 そのとたんに夕子が目を開けた。
「きゃぁ〜ッ!」
 全裸になっているのに気がついた夕子は、あわてて毛布を身体に巻きつけた。
「わ、わたし……尼さんに……」
「ぼくも見たよ……。ま、まちがいない、あれは幽霊だ……」
 淳一は闇に目をこらした。だが、そこには何も見えない。
「いや。わたし、この家にこれ以上住むのはいやよ」
 夕子は、身体を震わせながらいった。
「しかし、信じられない……幽霊なんてものが本当にいるなんて……。幽霊が出るなら出るで、きっと何か理由があるはずだ……」
 淳一は、きっと唇を噛んで闇を見据えた。

 翌日、淳一と夕子は、町の図書館に出かけた。
 二人は読書室の机の上に郷土史の本を何冊も積んで、本を開いた。
「これかもしれない……」
 淳一が、開いていた本を夕子に見せた。そこには、『悲劇の比丘尼たち』と書かれている。
「室町時代の終わり、このあたりでは小豪族がいつも争ってばかりいたんだ。そんな豪族のひとつ松尾氏には、笹姫という美しい娘がいた。笹姫を妻にしたいという侍があとを断たなかったらしいが、笹姫は、頑としてこれを受けつけず、尼僧となり尼寺にこもってしまったんだそうだ」
「それで……?」
「笹姫を妻にしたいと願った隣国の豪族が、怒って松尾氏を攻めてこれを滅ぼし、尼寺にも焼き討ちをかけて、笹姫たちを殺してしまったらしい。その尼寺のあった場所は、その後、比丘尼塚(びくにづか)と呼ばれることになったそうだ」
「びくにづか……? わたしたちの家の住所も美国塚(びくにづか)よ」
「そうか! ちょっと待って」
 淳一は、古い町の地図を借り出してきた。
「やはりそうだ。ぼくたちの家があるところは、昔は比丘尼塚といったんだ。それが住居表示の変更で美国塚になったんだ」
「塚というのは、何かを祀ってあるところよね、普通は?」
「ああ、お墓のことを表すことも多いみたいだな。日本のあちこちに、昔の武士の首を埋めた首塚なんてのがあるしな……」
 淳一は、郷土史の本に再び目をやった。
「もしかすると……」
「どうしたの?」
「いやね、比丘尼というのは、二十歳を過ぎた尼僧のことなんだ。でも、戦国時代あたりの女性の結婚適齢期は十代のはずだ。政略結婚の道具にされ、四、五歳で嫁いた姫君たちもたくさんいたはずだよ。江戸時代でさえ、二十歳を過ぎたら年増だったんだから……」
「まあ……」
「だから、笹姫が二十歳過ぎまで独身でいたってことは、少しおかしいんじゃないかと思うんだ。昨夜のできごとを考えてみると、この笹姫は、いまでいうレスビアンだったのかもしれない……。尼寺に入れられたというのは、そのレズの相手との仲を引き裂かれたためかもしれないな……」
「それで、わたしをかわりに……?」
「ああ……」
「引っ越しましょうよ、あの家……」
「しかし、あわてて引っ越して、おかしな噂が流れたら、売りに出しても買い叩かれるのは目に見えている。住宅ローンだって、まだ三十年分、残っているんだからね」
「じゃあ、どうしようっていうの?」
「専門家に相談しよう……」
 そういって淳一は席を立った。

 三十分後――。
 ふたりは家の近くの大きな寺に入っていった。
「なるほど……」
 本堂脇の書院の畳の上で、老齢の僧侶が頷いた。「この寺は、鎌倉時代から続いているのですが、火事で昔の文書が焼けてしまいましてな……。しかし、確かにあなたたちの住んでいる住所は、その昔、尼寺があった場所にちがいありません」
「どうしたらいいんでしょう?」
 淳一が身を乗り出した。
「わたしは引っ越ししたいんですが……」
 夕子が続ける。
「しかしですな、戦乱の時代にはあちこちで武士が死に、江戸時代になってからも、飢饉のたびに多くの人々が行き倒れになっている。無念の思いで死んだ人々の霊は、あちこちに留まっているのです。それを気にしていたら、日本には住む場所などなくなってしまう」
「で、でも……」
「お話をうかがったところ、その霊はおそらく笹姫のもの。だとすると、奥さんを、仲を引き裂かれた女性の恋人と勘違いしているのかもしれない。それが間違いだということを気づかせてやれば、あちらもあきらめることでしょう」
「どうやって?」
 淳一が訊くと、僧侶は、ふたりの顔を見つめた。
「おふたりとも、ここで裸になってくだされ」
「え?」
 夕子と淳一は、思わず僧侶の顔を見つめた。

 その夜――。
 自宅の寝室のベッドの上で、夕子と淳一は全裸で絡み合っていた。そのふたりのからだには、全身に般若心経の経文が書かれている。

  摩訶般若波羅蜜多心経
  観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五
   (一部略)
  羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提娑婆訶
  般若心経

『この般若心経を書いたからだで睦み合い、奥さんが、笹姫の恋人ではないことを知らしめるのじゃ。奥さんの愉悦が高まれば高まるほど、笹姫も自分の過ちを理解するはずじゃ……』
 夕子は僧侶の言葉を思い出していた。
 夕子の上に重なる淳一の背後に、白い影が浮かび上がった。笹姫の霊だ。
 ゾクッという冷気に淳一は、一瞬、身をすくませた。
(き、きた……)
 夕子も、その気配に気づいた。
 笹姫の霊は、それ以上、近づけないでいた。笹姫の目には、ふたりの姿が見えない。経文が、身体のかたちに浮かび上がっているだけだ。
「ぐう……、うぐぐ……」
 笹姫は、苦しみ、もがいていた。
(も、もう少しだ……)
 淳一は、背中に笹姫の霊の感触を感じながら、夕子の耳元で囁いた。
「さあ、いいか。一緒にいくんだ……」
「え、ええ……」
 はっ、はっ、はっ……ふたりのあえぐ声が天井に反響し、「あ〜ッ」と夕子が絶頂の声をあげた。
 笹姫の目には、ふたりのからだの輪郭が、白熱し、閃光を発するのが見えた。
「ぐ、ぐをを……」
 笹姫はもがき苦しみ、そして、悲しげに顔を伏せると、くるりと背を向けて、闇の中に消えていった。
 淳一は、夕子の上にどっと倒れ込んだ。ふたりとも荒い息をついている。
「笹姫の霊は……?」
 夕子が訊く。
「気配が消えた。お前のことをあきらめたんだ」
「もう出ないかしら」
「和尚さんのいっていたことを信じるんだ。もう出やしないよ。きっと……」
 淳一は、そういうと夕子の額に唇をつけた。

 一ヶ月後の夜――。
「ねえ……」
 夕子は、ベッドの上で眠る淳一の肩を揺すった。
「う〜ん……。長距離通勤で疲れてるんだから、またにしてくれよ……」
 淳一は、夕子に背中を向けて毛布をかぶった。
(こんなことになるんだったら、あの幽霊に愛されていたほうがよかったわ……。またきてくれないかしら……)
 夕子は、膨れた顔に毛布を引き上げた。
 家の裏手の雑木林の枝が、ざわざわと鳴っている。
 その林の中に、また、白い人影が浮かび上がっていた。

〔了〕

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