「こんにちは税務調査です」

(税務研究会出版局発行)所載


   『妻のマル秘アルバイト』(原作)

原作/構成・すがやみつる
作画・湯川 淳月


 学園都市の商店街――。
 池田文具店は、学生たちで賑わうその商店街に店をかまえている。
「ありがとうございました」
 主人の池田さん(38歳)は、買い物をすませて店を出ていく女子高校生の背中に声をかけた。
 その女子高校生と入れ代わりに、息せききって飛び込んできた中年の男がいる。
「池田さん、池田さん」
「あれっ、吉岡印刷のご主人。どうしたんです?」
 胸に吉岡印刷というネームを縫い込んだジャンパーを着ている吉岡さんは、池田さんの顔を真剣な顔でのぞきこんで、
「あんたんとこ、脱税でもやらかしたのかね?」
「えっ?」
 池田さんは、キョトンとする。何をいわれているのかわからないのだ。
 その池田さんに、吉岡さんがたたみかけるようにいった。
「だって、税務署から問い合わせがきたんだぜ。去年、うちが、ハガキの印刷やハンコ作りで受け取った金額を出してくれって」
「え〜〜〜っ?」
 池田さんも、さすがに目を丸くした。そして、心当たりはないという顔になって、
「税務調査は、いちおうあったけど、帳簿類もってって、そのままだ……。うちはインチキなんかしてないから……、あれですむと思ってたんだけど……」
「いやいや、税務署を甘く見ちゃいけない。うちも、痛くもない腹をさぐられるのはいやだから、ちゃんと書いとくからね」
 と店を出ていく吉岡さんに、
「そうしてくれよ。うちだって公明正大なんだから」
 と、手を振った池田さんだったが、やっぱり不安になってしまう。
(しかし……、なんだって、まだ調査が続いているんだ……? 調査は一週間前に終わったと思っていたのに……)

       *       *       *

 池田文具店を経営する池田さんのところに税務調査があったのは、1週間前のことだった。
 三年前、池田さんは、この店を経営していた父親が病気がちだったため、脱サラして店を継いだのだった。
 文教地区の駅前通りということもあって、店はかなり繁盛していた。
 女の子向けにファンシー商品を置けば、それが飛ぶように売れるし、ワープロやパソコン、コピーなどのOA機器で使うインクリボンや用紙も、ブームに乗って順調だった。
 父親から店を継ぐときに、池田さんは、店を株式会社にした。個人で店と店の商品を継ぐと、贈与税がばかにならないからだ。それで父親には、現物出資の役員となってもらって、自分が社長になり、奥さんの美代子さんを経理担当の専務としたのだった。
 経理は、全面的に美代子さんがみていた。
 池田さんと奥さんは、同じ銀行で働いているときに知り合って結ばれた社内結婚。二人とも数字には強かったのである。
 池田さんは、銀行マン時代は、ずっと得意先係をやっていたから、中小企業や商店の経理についても明るかったし、また、税務調査についても充分に心得ていた。
 だから、初めての税務調査も順調にすすみ、いちおう帳簿類と池田夫婦個人の預金通帳のコピーなどを調査官が持ち帰ったが、べつだん何の心配もしていなかった。
 それなのに……。
 不安になった池田さんは、税理士さんに相談することにした。

       *        *       *

「えっ、税務署から照会調査が?」
 顧問税理士の笹山先生が声をあげた。
「そうなんですよ。うちは心あたりがないんですけどねぇ……」
 篠山税理士事務所の隅にあるソファに笹山先生と向かい合って座った池田さんは、落ち着かない。
「ふうむ……。帳簿類には問題があったとは思えないんだが……。となると、預金通帳のコピーのほうか……」
 と、笹山先生は、タバコを加えて天井を仰ぐ。
「でも、給料や配当が入金されてるだけですよ。女房だって、そのへん心得てるから、店と家とでは、財布をきちんと分けてるし……」
「うーん、見当がつかん。とにかく税務署からの連絡を待ってみましょう」
 笹山先生もシャッポをぬいだかっこうになった。

       *       *       *

「うーん、どうなってんだろ……?」
 池田さんは、店に帰る道すがらも、腕を組んで考え込んでいた。
「ん?」
 ふと前のほうを見た池田さんが、「あれは……」
 と呟いた。
 池田さんの前のほうを、男女のカップルが歩いていく。男性のほうはトレンチコートを着た、どこぞの大会社の部長か課長のような雰囲気だ。
 だが、問題は、女性のほうだった。
 その女性の横顔が、チラリと見えたとき、
 ――美代子!
 池田さんは、思わず叫びそうになって、あわてて自分の口を手でふさいだ。
 奥さんの美代子さんが、イヤリングをつけ、口紅を塗っておしゃれして歩いていく。ジャズダンスに通うようになってから、肌にも張りが出たようで、自分の女房ながら、最近きれいになってきたな、と思っていた池田さんだったが、それ以上に今日の美代子さんは輝いている。そこには、夫の知らない別の美代子さんがいた。
 美代子さんは、毛皮のコートを着ていたが、池田さんにしてみると、
(あ、あいつ、あんな毛皮のコート持ってたっけかな?)
 ということになる。
(そ、それよりも……あ、あの一緒にいる男は誰だ!?)
 もうすっかりうろたえて、
「ま……まま……ま……まさか……、今はやりの……」
 と口走る池田さんの脳裏を、巨大な『不倫』の二文字がゴワ〜〜ンと走り抜けていった。

       *       *       *

 ――池田夫妻は、店の近所のマンションに住んでいる。池田さんが銀行員だった頃にローンで購入したものだ。
 二人の子供が幼稚園と小学校にいくようになると、奥さんは、 ジャズダンスやカルチャースクールなどに通うようになった。
 だからといって、経理の手を抜いたわけではない。経理の事務は、池田さんが店から持ち帰る伝票をもとに、キチンとやりとげていた。子供の教育のこともまかせておいて安心だし、池田さんも心の中で、奥さんには感謝していたのだが……。

       *       *       *

 その夜遅く――。
「さぁ、今日の分は終わり!」
 奥さんの美代子さんが、キッチンのテーブルで、パタンと帳簿を閉じた。昼間の姿とは違う主婦の顔だった。
 池田さんは、居間のコタツに入り、テレビを見ながらウィスキーを飲んでいる。
「あら、あなた、まだ寝ないの?」
 美代子さんに声をかけられても、池田さんは背中を向けたまま、
「あ、ああ……」
 と、曖昧な返事を帰すだけ。まだ昼間のショックが抜けていないのだ。
「それじゃ先に寝るわよ。おやすみなさい」
 美代子さんは、まとめてあった髪をほどきながら、寝室に入っていく。
「ああ……」
 と、ナマ返事をした池田さんだったが、背中を向けたまま、思い切ったように声を出した。
「あのな、お前……」
「え?」
 美代子さんが振り返る。だが、池田さんは、言葉が続かない。
「い、いや、何でもないんだ……」
「変な人! じゃ、おやすみ!」
 美代子さんは、寝室に入っていった。
 その後ろ姿を、そっと盗み見るようにして呟く池田さん。
「ま、まさか、あの美代子に限って……。い、いや、そのまさかが……」
 その顔は、ただ青ざめるばかりだった。


 翌朝――。
「おはようございます」
「おはようございます」
 店に出勤してきた二人の主婦のパート店員たちが、池田さんに挨拶した。
「おはよう……」
 と、元気のない池田さんの顔を見て、パートの主婦の一人が、
「あら、社長、どうしたんですか? 目がまっ赤ですよ」
「え、そうかい? ちょっと寝不足でね」
 池田さんは、そうごまかしたが、もう一人の主婦が笑い声をあげた。
「ゆうべ、奥さんに寝かせてもらえなかったんでしょ?」
「そ、そんなんじゃないったら」
 あわてて奥の事務室に逃げ込む池田さんの背中に、
「ホホホホ、社長ったら赤くなっちゃって。図星だったのよ、きっと」
 と、主婦の声が追い打ちをかけた。
「ちぇっ、だから中年女はイヤなんだよ……」
 と池田さんが毒づいたところに、ルルルルル……と、電話が鳴った。
「えっ!? 税務署!?」
 受話器をとった池田さんの顔が、あっというまに真っ青になった。

       *       *       *

 電話は税務署からの呼び出しだった。あわてて税務署に駆けつけた池田さんに、税務署員が銀行の預金通帳のコピーを見せた。
「えっ! 美代子が架空名義の預金通帳を?」
「ええ……。池田さんと奥さんの通帳のコピーを預かって帰りましてね、念のために調べたんですが、奥さんの通帳に、月に一、二度、五万から十万の入金があるんですよ」
「えっ?」
「その入金先を調べたところ、〈如月さやか〉という名義の口座から引き出されたものが、奥さんの通帳に入金されているんです」
「如月さやか? ま、まるで芸能人みたいな名前じゃないですか」
「ええ。それで銀行の窓口の係にきいてみたんですが、どうやら、この如月さやかというのは、あなたの奥さん自身らしいんですよ」
「美代子が!?」
 池田さんは目を丸くした。口もポカンとあいたままになる。
「如月さやか名義の口座に登録された住所も電話番号も、お宅のものでした。それに、その如月さやか名義の口座には、不定期ですが、ほぼ毎月のように、二十万から三十万の入金がありましてね。多いときには百万以上の入金が……」
「え〜〜〜〜ッ!?」
 池田さんは、もう言葉もなく、ただただ驚くばかりだった。
「振出先は、ピーチ企画という会社になっているんですが、どんな会社なのか、いま調べているところなんですよ」
「ピ、ピーチ企画……?」
「それに、銀行の話では、入金があったときに如月さんに電話すると、確かに、如月さやかと名乗る女性が出るというんです」
「…………? な、なにがなんだか、わけがわからない……」
 ポカーンとしたきりの池田さんに、税務署員は、
「どうやら本当にご存知ないようですね。こちらでは、架空の会社でも作って、池田文具店の経理操作でもしてるんじゃないかと思ったんですが……」
「それで照会調査を……」
 と、納得した池田さんだったが、不正の疑いをかけられたことについては、もちろん納得しなかった。
「断じて店のほうは不正なんかしていません!」
 と、胸を張った池田さんだが、次の瞬間には、また、ガックリとうなだれていた。
「し、しかし……女房のほうは……わ・か・り・ま・せ・ん……」
 肩を落とした池田さんを気の毒に思ったのか、税務署員がなぐさめるようにいった。
「帳簿と照会調査の結果を見ても、お店のほうには問題点はありませんでした。でも、奥さんに、個人の収入があるとすると、奥さんの申告を修正していただかなければ……」
「はぁ……」
「まぁ、お店のほうは正直にやられているようなんで、できればそちらから自主的に修正申告していただけるとありがたいんですが……。そのように奥さんに話していただけませんか?」
「は、はぁ……」
 なんとかそう返事して税務署を後にしたものの、池田さんは、うわのそらだった。最悪の結果を予想していたからである。
「ピーチ企画……如月さやか……入金……」
 ブツブツと呟きながら池田さんは歩いていく。
「毛皮のコート……毎月数十万円……多いときには百万円以上の入金……。それも正体不明の会社から……。まさか……、まさか……!」
 立ち止まった池田さんの脳裏を、『主婦売春』という巨大な文字がゴワ〜〜ンと駆け抜けていった。
「ブツブツ……。お、おれが一生懸命店で働いているあいだに、あいつは、ジャズダンスだのカルチャースクールだのと偽って……ブツブツ……」
 池田さんは、電柱に向かって文句をいいいながら、ちょっと前の二人の会話を思い出していた。
『おまえ、最近若返ったじゃないのか……?』
『あら、ジャズダンスの効果が出てきたのかしら』
 その会話を思い出しながら、「あ、あいつ……」
 唇を噛み締めた池田さんは、
「よ、よし! 今夜、問い詰めてやる!」
 と決意したのだった。
 ――その夜、池田さんは、意気込んで家に帰った。
 しかし……。
 いざ、その場になると、結果がおそろしくて口にできない池田さんだった。


 一週間後――。
 池田さんは、喫茶店で一人の中年男と会っていた。
 相手は、あまり人相のよくない探偵社の社員だった。池田さんのほうも、濃いサングラスで顔を隠している。
「これが調査記録です」
 男はテーブルの上に探偵社の社名入りの封筒を置いた。
「いやぁ、奥さんもなかなかご発展ですなあ。この三日で、渋谷の喫茶店、赤坂のホテルのロビーと、二回も同じ男に会っている」
 封筒の中身を改めている池田さんに、男が小声でささやいた。
 池田さんは、封筒の中から出てきた写真を見て、「う!」と声を出した。
「――こ、この男は……!」
 そこに写っていたのは、先日、毛皮のコートを着た奥さんと一緒に歩いていた男だった。
「まっ昼間から、ホテルのロビーで、その男と待ち合わせですよ」
「ホ、ホテル……」
「そのあと、エレベーターで上に上がりましてね。同じエレベーターに乗るわけにもいかないんで、ロビーで張り込んでいたら、二人して降りてきたのは二時間後」
「二時間……」
 ただただ驚くばかりの池田さんに、男がきいた。
「その写真の男の身元、知りたいですか?」
「えっ、わかったのか?」
「タダじゃ教えられませんね。奥さんの素行調査の分しかいただいてないんだから」
「これでいいかい?」
 と、池田さんが、五枚ほどの一万円札を出すと、男は、
「へへ、こりゃどうも」
 と、素直に受け取って話を続けた。
「相手の男を尾行しましてね、つきとめたんですが、木崎広一郎……大手S出版の出版部長ですよ」
「大手出版社の出版部長? それで知性の香りが……」
 と、池田さんは写真を見つめて呟いた。
「この男だけだったんだな……、会ってたのは?」
「ええ、この三日間ではね」
(不特定多数の男じゃないってことは……、売春ではなさそうだが……)
 池田さんは考え込んだ。
(しかし、金をもらってるってことは、ただの不倫じゃない……。まさか……)

       *       *       *

「あ、社長」
 池田さんが肩を落としながら店に帰ってくると、パートの主婦店員が声をかけてきた。
「税理士の先生からお電話がありましたよ。帰ったら電話してほしいって……」
「あっそ……」
 虚ろな目で返事しながら事務室に入っていく池田さんを見送って、パートの店員が首をひねる。
「どうしたんだろ? 抜けがらみたいになっちゃって……」
 事務室から池田さんは、税理士事務所に電話をかけた。
「もしもし……池田ですが……。え、税務署からそちらに電話が?」
「奥さんの修正申告の件でね。早くしてくれって」
「は、はい、わかりました……」
 そう答えながら、池田さんは、固く目を閉じた。


 ――ブレーキの音を軋ませて、マンションの前でタクシーが停まった。
 タクシーから降りた美代子さんは、マンションに入ると、自分たちの部屋に向かって階段を上がっていく。
 今日も毛皮のコートを着ている。その下は、シルクのブラウスに黒のタイトスカートだ。耳にはイヤリングをつけ、濃い口紅も塗っている。
 美代子さんは、自室のドアの前に立つと、鍵を差し込もうとした。
 ――が、ノブを回すと鍵があいている。
「あら……」
 不審に思いながら部屋に入ると、居間のコタツで池田さんがウィスキーを飲んでいた。
「どうしたの、あなた!? 昼間からお酒なんか飲んで? お店はどうしたの?」
 驚いた美代子さんが近寄ると、池田さんは声をあげた。
「うるさい!」
 池田さんは、ウィスキーのグラスを持ったまま、ゆっくりと振り返った。酔いのせいか、目がすわっている。
「おれが用があるのは、お前じゃない! おれが用のあるのは……」
 池田さんは、美代子さんの顔をにらみつけると、ゆっくりと声をあげていった。
「如月さやかさんだよ!」
「!!」
 美代子さんが身体を固くした。
「ど、どうしてそれを……」
「おれはなんだってお見通しさ。如月さやかさんってのは、たいそう稼ぎがいいそうじゃないか。その毛皮のコートも、その稼ぎで買ったんだろうが……え!?」
 美代子さんは、コートを着たまま立ち尽くしている。
「まったく、こんなことが表沙汰になったら、おれのメンツは丸ツブレだ。人になんかいえたもんじゃない……」
「そういわれるんじゃないかと思って、口に出せなかったのよ」
 美代子さんは、観念したかのように、コートを脱いで言葉を挟んだ。「銀行時代から堅物だったあなたの性格を知ってるから……」
「堅物だろうが、トウフみたいにやわらかろうが、関係ないだろう! おれが何を不自由させたってんだ。毛皮のコートなんか、欲しいといえば、すぐ買ってやったのに……」
「…………」
「子供だっているってのにな……」
 ふてくされた池田さんの言葉だが、美代子さんは、何か変だと感じたようだ。
「え?」
 と声を出すと、池田さんが追い打ちをかけた。
「何も愛人なんてやらなくたって……」
 その言葉を聞いたとたん、
「えええ〜〜っ!?」
 美代子さんが今度は大きな声を出した。「愛人……? 何をいってるのよ、あなた!」
「とぼけるな! ネタはあがってるんだ!」
 池田さんは、カーペットの上に、探偵社の封筒をたたきつけた。
 その封筒から、S出版の木崎氏の写真が飛び出した。
 それを見て、美代子さんも、
「あ!」
 と声をあげる。
「どうだ、グウの音も出ないだろう。相手は、この男だけなのか?」
「相手……?」
「ピーチ企画って愛人の斡旋会社をとおしてつきあってた男だよっ!」
 池田さんが喚く。
「ピ、ピーチ企画!?」
「ほれみろ、心あたりがあるんじゃないか。いかにもそれらしい名前だ!」
「あ、あなた……わたしのことを、そんなふうに思ってたの?」
「ああ、それがどうした!?」
「ククク……」
 美代子さんが急に笑い出した。最初は笑いをこらえていたのだが、ついにこらえきれなくなって、アハハハハ、と、のけぞって笑う。
「やだあっ、あなたったらーーーっ!」
 池田さんがキョトンとする。
「クククク……。おかしくってお腹が痛い!」
「笑ってごまかすなっ!」
 池田さんが態勢を立て直して恐い顔になると、
「あのね、如月さやかってのは……」
 美代子さんは、納戸に入っていった。
「あ、こら逃げるな!」
 と、立ち上がりかけた池田さんの目の前に、納戸から出てきた美代子さんが、ドサドサドサッと、本の束を落とした。
 その本を見て、
「え〜〜〜〜〜っ!?」
 池田さんは、目をまん丸に見開いて、叫び声をあげた。
「ジュ、ジュニア小説〜〜〜〜ッ!?」
『ときめきの放課後』『あかね色のハイスクール』『夕陽のララバイ』……。
 そんなタイトルの、少女マンガ家のイラストに彩られたジュニア小説の文庫本ばかりだった。しかも、その作者の名前は、すべて『如月さやか』!
 なんと、奥さんの美代子さんは、二年前にジュニア小説の新人賞に応募した小説が入選し、それがきっかけとなって、いまでは新進ジュニア小説作家となっていたのだ。

       *       *       *

「すると、この収入は、原稿料と印税というわけですか」
 夫婦そろって税務署に出かけて渡した収入の明細を、税務署員が見つめていた。
「はい……。最初に原稿料をもらえることになったとき、うれしくって、ついペンネームで口座を作ってしまったんです」
 美代子さんは税務署員に頭を下げた。
「しかしねぇ、収入は収入ですから、ちゃんと申告してもらわないと……」
 税務署員が渋い顔をする。
「でも、原稿料や印税は、最初に十パーセントの源泉徴収税を引かれてるんでしょ。百万円を超した額については源泉徴収税が二十パーセントにもなるし……。定期預金の分離課税と一緒で、申告しなくていいのか思って……」
「いやいや、源泉徴収税は、あくまで税金の仮払いです。奥さんの場合は、文具店の会社からも給料をもらっているし、きちんと確定申告してもらわないと……」
 そこに池田さんが口を挟んだ。
「だいたい、このピーチ企画って会社が悪いんだよ。この編集プロダクションの経理がうっかりして、お前の分だけ、源泉徴収票を税務署に提出するの忘れてたってんだから」
「そうですね」
 と、税務署員が相づちをうった。
「それが届いていたら、もっと早くスッキリしていたんだすけどね。でも、一番悪いのは、奥さん、あなたですよ。きちんと申告していれば、こんなことにはならなかったんですからね」
「は、はい……」
 美代子さんの声が小さくなっていった。
 ――結局、美代子さんは、申告をやり直し、追加の税金を納めることでケリがついたのだった。

       *       *       *

「まったく、こっそり小説なんて書くから、こんな大騒ぎになるんだよ」
 税務署からの帰り道、公園の中の道で池田さんがいった。
「だって……」
 池田さんの後から、とぼとぼとついていく美代子さんが弁解する。
「少女向けのジュニア小説なんて、理解してもらえそうになかったんだもの……」
「確かにそうだ……。二、三ページ読んだだけで、頭が痛くなったもんなぁ……」
「でも、そんなのでも、ちゃんとわかってくれる人もいるのよ」
「あのS出版の木崎部長か……?」
「そう。今度、S出版で、大人向けの書き下ろしをやらないかって。それで何度もストーリーの打ち合わせで……」
「ま、まぁ……、そりゃおれだって、お前が認めてもらえるってのは、うれしいけどな……」
 池田さんは、ちょっと照れ臭そうに空を仰いだ。
「じゃあ、続けていいのね!」
 美代子さんが、池田さんに駆け寄った。
「まあ、そりゃ、店の仕事にさしつかえないのならな……」
「嬉しい! ありがとう、あなた!」
 美代子さんが、顔を輝かせ、そして、その頭を池田さんの肩に預けた。
「へへ……」
 照れている池田さんだったが、そうはいってみたものの、やっぱり不安な池田さんだった。
 奥さんが美しくなったのは、ジャズダンスの効果だけではなかった。美しく見えたのは、自信が生み出した内面からの輝きだったのだ。
 いつか美代子さんは、自分のもとから飛び立っていってしまうのではないか……。  池田さんにとって、また新しい悩みのタネが増えたのである。
−完−

●ひとくちメモ 【主婦のアルバイト】

 ここで紹介した主婦の場合は会社の役員となっていたが、家庭の主婦がパートやアルバイトなどで得た収入は、どのくらいまでが控除の対象となるのだろう。
 控除の対象となるのは、次のような場合である。

(1)主婦の勤労による合計所得が33万円以下(年間。以下同)である場合。
(給与所得控除が57万円なので、配偶者控除と合わせ90万円までが控除の対象となる)
(2)所得のすべてが給与所得でない場合は、その所得が10万円以下であること。
(3)給与所得と他の所得の両方がある場合は、給与所得などの33分の10に相当する金額と、給与所得以外のとの合計が10万円以下であること。

 主婦がパートなどで働く場合、この配偶者控除を受けるために、勤務先に給与の支払いを2人分に分けてもらう人がいる。これは勤務先に調査が入ったときに、発覚しやすいことも忘れないほうがいい。
 なお、原稿料などの収入があったときは、確定申告をすることによって、源泉徴収された税金が戻ってくることもある。特に配偶者控除を受けられない収入があったときは、医療費控除、生命保険控除などを、夫と妻のどちらで適用したほうが得かを考えること。

(数字は1987年当時のもの)

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