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2008年4月24日 (木)▼今日、読んだ本

『オタクはすでに死んでいる (新潮新書 258)』『オタクはすでに死んでいる (新潮新書 258)』岡田斗司夫/新潮新書/2008年4月刊/714円) 『いつまでもデブと思うなよ』がベストセラー驀進中のマイミク・岡田斗司夫さんの最新刊です。

 新潮文庫入りした『オタク学入門』が、オタクについての総花的なガイドだったのに比べ、こちらの本は、さらにオタクについての定義を深め、さらに「萌え」という新しいオタク世代について触れ、「オタクはすでに死んでいる」と主張します。

 日本SFの「浸透と拡散、そして雲散霧消」をモデルケースに、オタクが死につつある状況を解説していて、「なるほど……」なと思いながら読了しました。

 そういえば今年の初め、SF関係者が集まる機会があったとき、かつてT書店で「SFアド○ンチャー」(匿名になってない)の最後の編集長を若い人に紹介するときに、つい「日本のSFを葬った人」などと口走ってしまいました。それはともかく、あの雑誌の終焉あたりが、「雲散霧消」の締めくくりだったような気がしないでもありません。

「オタク」(おたく)という言葉は1983年、「漫画ブリッコ」という雑誌に中森明夫氏が書いた記事に使われたのが最初だとされていますが、ぼくは、それ以前から、話している相手を「おたく」と呼ぶ人たちを知っていました。最初に出会ったのは秋葉原でしたが、いまと違ってフィギュアもアニメショップもない時代です。大きな紙袋を持って、ちょっと小首を傾げた状態で、脂ぎった長い髪の隙間から上目づかいに相手を見ながら、「おたく……」という若者たちで、たぶんBCLをやっているように見えました。

 こちらが頻繁に秋葉原に出入りするようになったのは1973年くらいからで、最初はマンガを描きながら楽しんでいたアマチュア無線のパーツを買いにいったりしていたのですが、まもなく「マイコン」に首をツッコむようになりました。BCLという海外ラジオ放送を聴いてベリカードなんてものを集めるのがブームになり、同時に、日本短波放送(その後「ラジオたんぱ」、現「ラジオNIKKEI」)の大橋照子アナが人気者になったりしていた頃でした。

 赤坂にあった日本短波放送のスタジオに出かけたりするBCLマニア……そんな人たちが、いわゆるオタク風で、独特の臭いを発散していたのが印象的でした。こんな「電波系オタク」は、もう少し経つと、こんどは小森まなみ嬢あたりをアイドルにしていきます。

 その後、これにゲーム系のオタクが加わり……という感じで、アニメやマンガのオタクが発生したいたことに気づくのは、もう少し先になってからのことでした。

「2次元キャラに恋をする」という現象を初めて知ってビックリしたのは、『サイボーグ009』の島村ジョーに恋していた女の子たちの存在を知ったときでした。石森章太郎ファンクラブにも所属していた女子大生の3人組が、ジョーにゾッコンで、同時にアニメ『サイボーグ009』の超ファンでもありました。彼女たちは、アニメ『サイボーグ009』のフィルムを借りてきて、自主上映会を開いたりするようになります。岡田さんの分類によると、女子ではありましたが、自分たちの好きなものを広めようとする「第一世代のオタク」的行動をとっていました。

 最初の上映会の会場は、確か、四谷公会堂。ここは、オタクの歴史の中で語られることもある第1回漫画大会が開催された場所でもあります。『サイボーグ009』の上映会の方は、入場料が99円。100円以上になると税金がかかるとのことで、こんな中途半端な値段になったのだとか。

 そういえば、突然の『宇宙戦艦ヤマト』のブームのときも、石黒昇さんが女子中学生から「月刊アウト」の『ヤマト』特集号(確か第2号)にサインを求められ、「え〜? なんで俺がサインを? アニメーターなんて裏方だよ〜!」と本気で驚いていたところに居合わせたことがあります。あ、思い出した。あれは、石津嵐さんの自宅だった。

2008年4月23日 (水)▼今日読んだ本

『漫画家アシスタント物語 (SUN MAGAZINE MOOK)』『漫画家アシスタント物語 (SUN MAGAZINE MOOK)』(イエス小池/マガジン・マガジン/2008年5月〔奥付〕刊/1,300円) 著者がブログに書いた内容が本になったもの。

 著者は52歳。ジョージ秋山先生のアシスタントを34年も続けているとのこと。そんな長年のアシスタント生活を綴った本で、ちょっと悲惨な内容でもあるのですが、著者の人柄の良さがにじみ出ていて、読み終わってみると、なんだか文学作品でも読んだあとのような気分になりました。

 この本、竹熊健太郎さんがご自身のブログで紹介しているのを見つけ、連動した掲示板に、ついコメントしまいました。ぼく自身もジョージ秋山先生のアシスタントをしていたことがあったもので、その当時の思い出ばなしを書いたのですが、そうしたらなんと、著者のイエス小池氏からコメントが!

 興味のある方は、竹熊さんの掲示板をご覧になってみてください。

2008年4月22日 (火)▼今日、読んだ本

『子供は理系にせよ! (生活人新書 251)』(大槻義彦/NHK出版・生活人新書/2008年4月刊/735円〔税込み〕) ......あのオカルトバスターとして有名な早稲田大学理工学部の大槻教授の著書です。

「理系」が、いかに素晴らしく、そして無欲で、悪いことをしないか。そんな理系大礼賛の本です。文系バリバリの人が読んだら怒るかもしれないほど理系を絶賛する文章は、まるで理系オカルトのようでもありますが、それもご愛嬌に思えるのが、大槻教授の人徳(?)かもしれません。

 前半は理系の素晴らしさを紹介し、後半は「子供を理系にするには、どうしたらいいか」を教え子たちのアンケートなどを例に紹介しています。

 うなずけるところもあるけれど、なんだか手前味噌なデータが中心で、本気で子供を理系に進ませたいと思っている親には、ちょっと物足りないかも。題名通りに受け取らないで、面白い読物として読んでおいた方がいいかも。

2008年4月21日 (月)▼授業を受けたあと、本の買い出し

 昨夜、早く寝てしまったので、今朝は、早朝に起きてeスクールの授業を受講。今日から2周目の授業だ。先週の授業がガイダンス的なものだったので、今週から本格的な授業という感じ。専門科目は3科目だけなので、午前中に受講を終え、課題も提出してしまう。

 ポコンと空いた時間を利用して、池袋のジュンク堂まで本の買い出し。3時間ほど店内をうろうろし、10冊ほど購入。各駅停車の電車で最寄り駅までもどり、駅前の喫茶店で読書開始。2つほど向こうのテーブルには、マンガ家Aさんの背中が見える。あちらも読書中。本を読むのに熱中していて、気づいたらAさんの姿は消えていた。

 帰宅後、さらに読書。至福の時間。

2008年4月20日 (日)落語とインディカーレース

 昨日の雨で今日に決勝レースが順延になったインディカーシリーズ第3戦もてぎの経過が気になり、午前11時のスタート直後からネットで経過を追っていたのだが、出かける時間が来て途中で追跡をあきらめる。

 200周レースの140周目あたりまで見ていたのだけれど、スコット・ディクソンが安定してトップを走りつづけていて、このまま行くのかな……と思っていたら、あとで確認したところ、なんと、ダニカ・パトリックが優勝。インディカーシリーズ史上、女性ドライバーの優勝は、これが初めて……のはず。おめでとう〜!

 ……というわけで、昼過ぎ、自転車&西武新宿線で沼袋まで行き、ここでバスに乗り換え中野まで。中野芸能小劇場で開催された「わか馬翔ける2」というマイミクの落語家・鈴々舎わか馬さんの落語会に出かけるため。

『芝浜謎噺 (ミステリー・リーグ)』 わか馬さんの落語は2席で、ネタは「人形買い」と「野晒し」。この「野晒し」は、ミステリー作家の愛川晶さんが書き下ろした落語ミステリー第2弾『芝浜謎噺』(原書房)に収録されている『野ざらし死体遺棄事件』のために書き下ろされた「改作・野ざらし」で、本来の「野ざらし」とは途中からストーリーが変わるもの。

 趣向を凝らしたネタで、ネタ下ろしのときに聴く機会を得たが、その後、あちこちで演じてきたそうで、さらに磨きがかかり、完成の域に届いているような感じ。

 あいだに橘家文左衛門師匠の爆笑落語も挟んでワッハッハと笑いつづけ、腹の皮がよじれて痛い。

 落語が終わった後は、近所の居酒屋で開催された打ち上げにも、息子さんと一緒に上京していた愛川さんと共に参加し、落語好きの皆さんとワイワイ。飲み邦題だったので、代金以上分、飲んでやれと中生ジョッキでビールを6杯も飲んだら、睡眠不足がたたって、いまにも眠りそうな状態に。高円寺に寄り道したけれど、すぐに限度に達し、そそくさと帰宅。午前零時に切り替わったeスクールの授業も受けずに、今夜はおやすみなさい。

2008年4月19日 (土)アイスホッケー観戦

 今日は東伏見のダイドードリンコ・アイスアリーナで、アイスホッケー関東大学選手権春季大会の「早稲田大学対東海大学」戦を観戦。一昨年までは、アイスホッケーの観戦といえば、いつも単独。昨年からは、ひとりふたりと参加者が増えたが、今年は、新入生の中にアジアリーグや実業団の試合も見ていたファンがいて、その影響か、一挙に6名+子供1名の団体で観戦。試合も7対2で快勝し、めでたし。

 試合後は、早稲田大学の東伏見キャンパスやグラウンドの見学ツアーをした後、徒歩で武蔵関に移動して、蕎麦屋のお座敷で打ち上げ。さらにオヤジ2名で高円寺に移動して二次会、三次会のあと、バスのある時間に解散となりました。

2008年4月18日 (金)▼水泳を見る

 今週は夕食の時間を午後8時からにして、NHK総合テレビで連日放映中の全日本水泳選手権の生中継を観戦しながら食事。今日は、早稲田大学スポ科3年の北川麻美選手が、女子200メートル個人メドレーで北京五輪出場を決めました。

2008年4月17日 (木)▼『フイチンさん』の上田トシコ先生、亡くなる

『少女漫画家の上田トシコさん死去、「フイチンさん」など連載』
(読売新聞 - 04月17日 11:36)というニュースが流れていました。

 90歳だったそうですが、今年はじめまで連載マンガを描かれていたそうです。

 直接お目にかかったことはありませんが、一度だけ電話でお話しさせていただいたことがあります。1969年の終わりか1970年のはじめ、永井豪さんの『ハレンチ学園』がスカートめくりのブームを起こすなどして社会問題化したとき、「週刊女性自身」が特集記事を組みました。そのとき識者に電話インタビューする仕事を当時、つとめはじめたばかりの編集プロが請け負い、ぼくが、その取材に駆り出されました。

 19歳になったばかりで、高卒後、半年ほどマンガ家のアシスタントをしていたものの、先生の仕事がなくなって半ばクビのような状態で仕事をやめ、友人の家で居候していたあと、知り合いのマンガ家の紹介で入ったのが、この編集プロでした。

 最初は原稿取りくらいの簡単な仕事だったのに、1ヶ月もしないうちにマンガ雑誌の柱に入る豆記事なども書かされるようになり、ライター兼編集者のような状態になっていました。

 でも、それまでの仕事は、記事の文章を書いたりレイアウトをするのもマンガ雑誌の仕事が中心。「女性自身」のような一般向け週刊誌の仕事は初めてで、緊張しながら渡されたリストに書かれていた識者の皆さんのところに電話をかけてはメモを取り、その内容を「ペラ」と呼ばれる200字詰め原稿用紙にまとめていきました。

 電話をかけたのは、教育評論家のカバゴンこと阿部進氏をはじめ、マンガ評論家、大学の先生など。そのなかに『フイチンさん』の上田トシコ先生も入っておりました。

 緊張しながらの電話だったのですが、とても優しい口調で、なおかつ『ハレンチ学園』を擁護する内容のコメントを話してくださいました。

 やはり緊張したのは、小さい頃から『フイチンさん』を読んでいたからですね。ぼくは1950年生まれの戦後生まれで、『フイチンさん』の舞台となった満州のことなど、住んでいた人の話を聞いたくらいで、よく知るわけがありません。でも、その満州での人々の暮らしぶりみたいなものを知っている気になったのは、『フイチンさん』の影響が大きかったのではないかと思います。

 そういえば、このとき書いた取材原稿は、そのまま「女性自身」を出していた光文社の別館にカンヅメになっていたライターのところに届けました。

 もっとも当時はライターなどという言葉はなく、取材記者(データマン)が書いたデータ原稿をもとに、印刷用の最終原稿を書く人という意味で、「アンカー」と呼ばれていました。この分業方式は、故・梶山俊之氏が「トップ屋」だった時代に確立したスタイルだったそうです。「女性自身」でも同様の記事執筆スタイルがとられており、データマンからアンカーに出世し、「シリーズ人間」のような人気ページのアンカーを経て、ノンフィクション作家や小説家になるというのが、黄金コースとされていました。

 ぼくがデータ原稿を届けにいった光文社の別館にあった部屋は和室で、浴衣姿のアンカーが座卓に向かい、200字詰め原稿用紙に4Bのチビた鉛筆で、一心不乱に原稿を書いていました。少し待たされ、原稿が一段落ついたところで、こちらが届けたデータ原稿を見せると、「ふむふむ……」といいながら、赤鉛筆で使えそうなコメント部分だけ囲んでいきます。

「いや、いいね、いいね、これ。喋りの口調も違いが出ているし、このまま使えるから助かるよ」

 と言いながら赤を入れていくのですが、実際に使われるのは、もちろん、ほんの一部。それでもプロの書き手に誉められたのが嬉しくて、ルンルン気分で会社に戻ったのを憶えています。会話の口調がそのまま使えたというのは、マンガのセリフのようなつもりで書いたいたせいだと思います。

 その後、「COM」や「大阪万博公式ガイド(児童向け)」などでも記事を書くようになるのですが、このあたりからすでに、「マンガ家で一区切りついたら文章の仕事をしたい……」などという不遜な考えを抱くようになりました。

『フイチンさん』の上田トシコ先生たちに電話で取材して書いたデータ原稿が誉められたこと。それが文章を書くことについての面白さを知るきっかけでもありました(最初は面白さばかりに目が向くばかり。怖さを知るのは、ずっと後になってからのことでした)。

 それにつけてもマンガの業界から敵前逃亡したような状態にある身としては、90歳になるまでマンガを描きつづけた上田先生のような方には、ただただ頭を垂れるばかり。慎んでご冥福をお祈りしたいと思います。

2008年4月16日 (水)▼『サラリーマントレーダーあらし』Webで復活!

 昨年、「コミック・ガンボ」に連載され、同誌の廃刊で連載が中断していた『サラリーマントレーダーあらし』が、翔泳社の経済Webサイト「MONEYZINE(マネージン)』にて、第1回目から再掲載されることになり、昨日から掲載がスタートしました。

 雑誌の休刊で掲載されなかった「幻の最終回」(10回目)も掲載予定です。よろしかったら、ご覧になってください。

 http://moneyzine.jp/article/detail/44308

2008年4月15日 (火)▼古書店巡回

 書き上げた原稿を宅配便の営業所に持っていったついでに、吉祥寺〜荻窪と古書店を巡回。寝不足で疲れていたので荻窪のスーパー銭湯に寄ろうかと思ったが、それもシンドイので、西荻窪の飲み屋に立ち寄り寝酒。タクシーで帰宅し、パタングー。


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