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1998年1月中旬の日記
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18日
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20日
1月11日
一昨日が締切だった『週刊小説』のイラストを描いてFAXモデムで送信。
1月12日
『ラジコン探偵団』という20年も前に描いた漫画のことで大阪のテレビ局が、雪の中を録画取材に来る。パーフェクトTVで放映されているチャンネルの番組で、ラジコンの歴史やら楽しさやらを紹介するそうだ。放映日時は聞き漏らした。
1月13日
幼児向けの作品の構成案を書き上げてPDFに出力し、メールで送信。さらに架空戦記小説の表紙のラフを描いて、これもFAXで送信。ふつう、作家がここまですることはないと思うのだが、どうも絵が描ける作家だから……ということらしい。マンガは描けてもリアルな絵は描けない。デザインセンスはゼロに近いのだけどなあ……。
1月14日
早起きして星新一さんの葬儀に参列。無宗教の葬儀で祭壇には遺骨と花が飾られているだけ。いかにも星さんらしい。石川喬司さんの司会で矢野徹、筒井康隆、新井素子さんが弔辞。献花のあと葬儀委員長の小松左京さんが挨拶。星さんとお話しさせていただいたのは、1995年5月、ぼくの小説家としてのお披露目パーティーに出席していただいたときが1回だけ。このときも久々の外出だったとのこと。パーティーの写真をお送りしたら、SF作家仲間の皆さんに会えて嬉しかったとの返事をいただいた。この手紙は、葬儀の引き出物の「ホシヅル」のテレカと一緒に、わが家の家宝になる予定。
帰宅後、幼児誌の編集長に連絡をとると、メールが届いていないとのこと。メールソフトをチェックするとアドレスを間違えていた。すぐに直して再送信すると、しばらくしてボツの電話。どうやら内容がマジメすぎたらしい。反省の意味もこめて、星さんのショートショート集、そして、江坂遊さんのショートショート集などを書棚から出して、短いお話のお勉強。そういえば江坂さんは、星さんの葬儀の帰途に立ち寄ったデニーズに、太田忠司さんと一緒にいたらしい。
1月15日
またも雪。昼間1回、夜に1回、道路の雪かき。腰が痛くなった。
1月17日
夕方から新宿の南欧風ビストロで、気のおけない仲間たちと新年会の会食。食事中に携帯電話が鳴り、田舎から幼なじみが高円寺の友人の家に来ているとの連絡。新宿からの帰途、高円寺にまわり、幼なじみとハシゴ酒。
1月18日
ニフティサーブ「コンピュサーブ&国際通信フォーラム」のホームページ作りに励む。
深夜、「FENICS-ROAD 2/3/4/5」からコンピュサーブへアクセスするための経路にトラブルが発生していることが判明。原因追及のために朝まで何度もトライ。国際回線の経路が変更になったのに、コンピュサーブ側が対応できていないのが原因であろう。ニフティに報告し、対策を依頼する(結局、2日間ほど使えないことになったが、「コンピュサーブ専用線・東京アクセスポイント」は使用可能。東京以外でも「FENICS-ROAD 5」からならアクセス可能とのこと)。
1月19日
午後、日本推理作家協会の事務局にパソコンの講師をやりにいく。事務局に入ったパソコンを活用するため。理事の今野敏さんも一緒。夕刻、寒いのでまっすぐに帰宅。
1月20日
しばらく日記の更新をさぼっていたら、何をしていたのか覚えていない。
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